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北陸(石川県、富山県、福井県)を中心に、マイナーな史跡、歴史スポットを紹介する。

北陸一向一揆の歴史を巡る~福井県、金沢市、津幡町の史跡

石山合戦の終焉

1573年(天正元)、越前の朝倉義景を討った織田信長。

1574年(天正3)には、柴田勝家を大将に、前田利家・佐々成政・不破光治などを越前に派遣し、越前の一向宗を殲滅。

(詳細は、越前戦国物語を参照)

その後、10年以上も続いた本願寺との戦い「石山合戦」に終止符をうつため、大軍にて本願寺を攻撃。

150年(天正8)、長期にわたり抵抗を続けた本願寺の法主「顕如」であったが、大阪退去を条件に降伏。

信長と一向宗の戦いは、事実上の旗頭である本願寺顕如の降伏により幕引きと思われた。

しかし、信長と一向宗の戦いは、それでは終わらなかった。


織田信長の北陸侵攻

本願寺顕如の降伏後も、長男「教如」が信長に抵抗を続けた。

これが、後に浄土真宗の分裂、真宗大谷派の誕生に繋がるわけであるが、北陸においても加賀、能登、越中各地にて一向宗が抵抗を続けた。


北陸一向宗の終焉

北陸一向宗の拠点としては、金沢の尾山御坊、北加賀の

の鳥越弘願寺(現在の津幡町)、そして、最後の一揆勢力となる鳥越城(現在の白山市)など。

1580年(天正8)も年末、尾山御坊、鳥越弘願寺が陥落。

158年(天正、ついに最後の砦、鳥越城も落城。

これにて信長による一向宗の殲滅作戦が事実上終結する。


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